IGARASHI TAKENOBU Archive

07|2025.05.26

三橋光太郎のPOINT OF VIEW

三橋光太郎

今回のPOINT OF VIEWの執筆者は、グラフィックデザイナーの三橋光太郎さんです。三橋さんは、POINT OF VIEW|06の執筆者である新島さんが企画・造本を担当された書籍『はじまりの風』のデザインを担当。最近では、五十嵐威暢美術館のロゴタイプを手掛けました。普段からグラフィックデザインの歴史や先人の創造を支えた理論や思考に関心を寄せる三橋さん。本稿では、五十嵐威暢のグラフィックワークを可能にしたテクノロジーや道具の存在に注目しました。デザインする側にいるからこそ想像できることがあります。自身の知識や経験を基に、五十嵐が辿ったであろう制作過程を丁寧に紐解きながら、作品の魅力を記してくださいました。


現代のデザイナーは、コンピュータを用いた制作環境が整備されていて、アイデア出しから入稿、納品まで、机上で完結することも少なくないだろう。ほとんどのものは作り方がマニュアル化されていて、安定した価値の供給ができるようにはなっている。しかし、何かものを作る時、その成果物の性質を形成する大きな要素として、制作するための道具や技術が実は大きく関係している。より創造的なものを生み出したいと思ったとき、自分が作ろうとしているものの制作過程を熟知して、然るべき道具を使いこなすことは重要なプロセスなのではないだろうか。五十嵐威暢というデザイナー・アーティストの創造の足跡を辿ると、制作プロセスの中に新しい技術や道具を積極的に取り入れることによって、新しい表現を獲得している機会が多くあることが分かる。本稿ではいくつかのグラフィックワークを取り上げながら、五十嵐が探究した方法と表現の関係について考察をしてみたいと思う。

イメージの実現のために新しい装置を開発する|ポスター New Music Media(1974)


作曲家の三枝成章が主催したコンサートのためのポスター作品。現代に向けた新しい音楽を「ニュー・ミュージック・メディア」というスローガンとともに掲げ、このテーマで100名のデザイナーがポスター作品を制作し、西武百貨店で展覧会をおこなった。

白く大きな空間の中に、奇妙なテクスチャーの塊が浮かんでいる。細い線が幾重にも重なり、見た瞬間、残像によって目眩がおきてしまう。線が構成する形の端々を拾い集めてゆくと、「NEW MUSIC MEDIA」という3行のアルファベット群だということがわかる。文字が積層によって空間に立ち上がり、見る者の感覚を揺さぶってくる。
五十嵐はポスター制作時、文字を無数の線で表現することを発想し、そのイメージの実現のために装置を自作することから始めている。製図板に定規を固定して、フィルムを留めたガラス板が印画紙の上を3ミリ間隔で移動できる装置を制作し、自宅の風呂場で位置をずらしながら、数百回も露光を繰り返したという。


図解(筆者作成)

このポスター作品はオフセットで印刷されており、赤、紫、青という3色を表現するためには、少なくとも3つの版が必要となる。印画紙では白と黒しか表現することができないので、各色それぞれの版が必要になるのだ。つまり、「NEW MUSIC MEDIA」という3単語をまとめて印画紙撮影したのではなく、「NEW」「MUSIC」「MEDIA」という1単語ごとに印画紙撮影をして、それぞれに色指定をおこない、それをひとつの平面上に印刷して重ねている。よく見ると、それぞれの単語は、上・中・下、というブロックに分かれており、その間隔は単語ごとに異なっている。さらに、「MEDIA」の上部にいくほど線の間隔が広くなっているが、「NEW」はそうなっていない。このような細かいニュアンスがこのポスターに豊かな表情を与えているように感じられる。
新しい表現に実験的にチャレンジする時には、結果を予測するのが難しく、計画も立てづらい。五十嵐はこのポスターで、新しい表現を追い求めて装置を作り、印刷製版までを現実的な計画として捉えた。さらに、ただの実験で終わらせずに表現へと昇華させるための造形感覚が遺憾なく発揮されている。創作のプロセスと、成果物との距離が近くある関係は、以降の五十嵐の制作スタイルに通じるように思う。 

 

新しい道具と出会うことで、新しい表現が生まれる|ポスター NOH(1981)

Poster, NOH[Graphic Design]

UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)が主催した、日本の伝統芸能をテーマにしたイベントのためのポスター作品。勝見勝によるキュレーションのもと、五十嵐のほかに亀倉雄策や田中一光、勝井三雄など12人のデザイナーがポスター作品を制作した。

五十嵐がデザイナーとしての確固たる位置を確立し、今ではその代名詞的な表現となっているのがドラフターを用いてアルファベット文字を立体化したグラフィックだ。ドラフターとは製図用の道具で、水平線や垂直線、斜線を正確かつ効率的に作図できるため、かつては立体的な建築図面を描くうえで欠かせない道具だった。
立体文字を表現した数ある作品の中で私にとって最も大きな衝撃だったのは、1981年のポスター作品《NOH》だ。アクソノメトリック図法による立体文字という卓越したアイデアと、漢字とアルファベットという性質の異なる文字を複雑に絡み合わせて、なおかつ魅力的に定着させる造形力。複雑でありながら一つのまとまりとしてシンボリックに存在し、一目見たら忘れられない。
能には能面や装束、うたいや舞、さらに物語など、それ自体に魅力的な要素がさまざまに含まれている。それらを用いてグラフィックを制作することも可能だ。しかし五十嵐は、立体文字を合体させる、というシンプルなアイデアだけで貫いた。能を直接的に表すような色は使われていない。立体文字の造形のみを見せるための、モノクロームな配色である。そこには、五十嵐がこの表現に対して絶対の自信を持っていたことが想像できる。
紙やキャンバスなどの平面上に、色と形を配置することによって、立体的な空間という視覚的なイリュージョンを生み出すことは、美術の歴史のなかで様々な手法をもって試みられ続けてきた。立体物を描く時にパースペクティブ(遠近法)を用いる以外に選択肢はないと思っていた五十嵐の前にドラフターという道具が現れ、呪縛から解放されるように立体文字のグラフィックを量産してゆく。まさに、アーティストと道具との出会いによる新しい表現を象徴するような作品だ。

 

コンピュータ・グラフィックスによる空間表現の拡張|ザンダースカレンダー(1989)


ドイツの紙の専門商社、ザンダース・ファインペーパー社のためのカレンダー。

1980年代後半、コンピュータの普及は多くのデザイナーに衝撃を与え、デザインのプロセスや表現方法の改変を強いる結果となった。そんななか、五十嵐は新しいテクノロジーとの出会いで、新しいグラフィックのアイデアを得ていた。それは、正面と奥行というシンプルな空間だったアクソメ図法による立体文字を回転させるというアイデアだった。この試みはドイツのザンダース・ファインペーパー社のグリーティングカードで実験的に取り入れられ、その後、1989年の同社のカレンダーで大胆に展開されている。日玉の全ての数字が自由自在に回転しており、文字の中にマーブル模様や写真の断片など、さまざまな図像がコラージュされている。
さらに、それまでは見られなかった要素として、立体文字にシャドウのグラデーションがある。アクソメ図法による立体文字では、色は面の切り替えと共に変化していた。シャドウという新たな要素が試みられた背景には、回転が加わったことによる、立体空間から感じる質の変化が影響しているのではないだろうか。私は、魅力的なグラフィックワークには理論では説明しきれない不思議さがあると思う。なぜそうしたのか意図は分からない。分からないけれど、不思議と魅力的に見えるもの。五十嵐がそれまでデザインしてきた多くの作品は、透徹したコンセプトと明瞭な表現によって、クリアで豊かな視覚的コミュニケーションを実現してきた。しかし、ザンダース社のカレンダーには、それ以上に、コンピュータを用いた魅力ある表現として、カレンダーというメディアや数字というモチーフを媒体として、新たな表現へのチャレンジ精神が先行しているように見える。



自由でのびやかなデザイン|ポスター Kyōgen(2017)


UCLAと早稲田大学による共同研究「柳井イニシアティブ日本舞台芸術プログラム」のためのポスター作品。1981年の同テーマでのプロジェクト以来、36年ぶりに11人のデザイナーによってポスター作品が制作された。メンバーは前回参加者に加えて原研哉、佐藤卓らが新たに参加している。

本作は、日本の伝統芸能のポスター作品を11名のデザイナーが制作するというプロジェクトの一環で生み出された。五十嵐が彫刻家への転身以降に携わったグラフィックワークである。先述のポスター作品《NOH》を制作したプロジェクトの、36年の時を経た第二段である。見方によっては、彫刻家転身以前と以降の五十嵐によるデザインへの考え方を比較することができると思う。2017年の五十嵐は、ザンダース社のカレンダーで試みた立体文字の回転という手法を転用して、狂言をテーマにポスターを制作した。モノクロームの色世界だった《NOH》に対して、真っ赤な背景に「狂言」という漢字が白と紫で宙に浮いている。その造形はかつての厳格でストイックな印象から一転して、自由でのびやかな印象を受ける。アウトライン上に打たれたアンカーポイントのドットも、制作時に現れた現象に対する新鮮なリアクションから意匠として配置されているように見えて、息苦しさを感じさせない。このポスターから受ける風通しの良い印象は、五十嵐の彫刻作品に感じるものと通底するものがある。デザイナーとしてのキャリアと、彫刻家としてのキャリアが五十嵐威暢というアーティストの中で溶け合い、晩年のグラフィックワークとして自然に表出したのではないだろうか。

私は、大学を卒業した2017年から、デザイナーの勝井三雄のもとで事務所のスタッフとして働いていた。勝井と五十嵐は近い時代にデザイン業界で活躍し、Macが登場した時には勉強会を共にするなど、交流も深い。2017年の日本の伝統芸能ポスタープロジェクトに勝井も参加しており、そのポスター制作の実作業が、私の勝井事務所での初仕事だった。
勝井も五十嵐も早い時期からコンピュータにアプローチしてきたデザイナーであるが、その活用方法は異なる。勝井は元来プログラム的な思考と色彩のグラデーションを多く用いてデザインをしてきた。コンピュータ導入以降は、プログラミングや数値的な管理によってより豊かな色彩世界を展開したり、多層的で重厚な図像のコラージュを制作した。勝井と五十嵐はアウトプットの方法は異なるが、過去に探究してきた表現方法をコンピュータによってさらに発展させる、という点では共通している。

 

作業の分業化が進み、狭い範囲での専門化が進む昨今のデザイン業界のなかで、あらゆる領域の境界を超えてきた五十嵐の足跡を辿ることは、デザインという営みにおいて、新しい価値を求める人たちに勇気を与えてくれる。この文章を書いている最中、五十嵐の訃報を受けた。五十嵐威暢亡き後、残された我々にできることは、その作品と創造への姿勢から何かを学び取り、自らの制作の中でそれを乗り越えようと試みることではないだろうか。



本記事で紹介している画像の転載を固く禁じます。

三橋光太郎

1994年生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業後、株式会社勝井デザイン事務所入社。2021年有限会社白井敬尚形成事務所入社。2025年独立、フリーランスのデザイナーとして活動している。『はじまりの風 五十嵐威暢のことばのいぶき』(新島龍彦・三橋光太郎・坂井佑有 編、2024)でデザインを担当。グラフィックデザイン、タイポグラフィ、ブックデザインを中心に探究と制作をする。

07|2025.05.26

三橋光太郎のPOINT OF VIEW

三橋光太郎

PAGETOP