IGARASHI TAKENOBU Archive

at
Kanazawa Institute
of Technology

About the IGARASHI TAKENOBU Archive

About
IGARASHI TAKENOBU Archive

KITに感性教育の拠点

2023年秋、金沢工業大学(KIT)に「五十嵐威暢アーカイブ」が設立されます。彫刻家・デザイナーである五十嵐威暢の研究、およびアーカイブの収蔵品を活用した新しい感性教育の拠点です。

長いキャリアのなかで創作された作品と様々な関連資料からは、良質なデザインの先例を知ることができ、ほかでは体験できない学びの場に。

デザイン、アートの実践者である五十嵐の思考と手法をあらゆる角度から解剖するとともに、実現したプロジェクトを五十嵐本人、または研究者の視点から観察できる展示プログラムも予定しています。

リアルな展示を体感することで目と心を鍛え、創造力に磨きをかける。
その役割を担うのが、五十嵐威暢アーカイブです。

五十嵐威暢

IGARASHI Takenobu

1944年北海道滝川市生まれ。 
多摩美術大学を卒業後、カリフォルニア大学で芸術学の修士号を取得。
1970年代からデザイナーとして国際的に活動し、千葉大学、UCLAで教鞭をとる。
多摩美術大学では、わが国初となるコンピューターによるデザイン教育の基礎づくりに参画、美術学部二部(のちの造形表現学部)創設に参加し、初代デザイン科学科長を務める。

1994年に彫刻家へ転身。
2011年より多摩美術大学第9代学長を務め、現在は名誉教授。
日常にアートをという理念のもと、国内外にパブリックアートとしての作品を数多く制作。
デザイナーとして四半世紀、アーティストとして四半世紀を超えたいまも創作を続けるかたわら、次世代への教育にも情熱を傾ける。

金沢工業大学

Kanazawa Institute of Technology

1965年開学。 技術者の育成を通じて
社会に貢献することを建学の理念とし、「人間形成」「技術革新」「産学協同」を掲げた教育に取り組む。
学生自らが世代、分野、文化を超えてプロジェクトを組み、AIやIoTを活用しながら社会的価値を持つ研究課題を発見。
創出した解決策は具体化し、実験、検証、評価していくという社会実装型の教育研究を通じて、未来にチャレンジする研究力を養成する。
さらに、SDGsの視点や考え方を各授業に組み込み、学生は身近な社会や地球規模の課題を結びつけ、各学科の強みを生かした関連プロジェクトを創出。
情報化社会に継ぐ未来社会をリードする人材育成を目指している。

なぜ、理工系大学で?

ロボット、人工知能、IoTなど、 進化するテクノロジーが日常を変えつつある現代。

一方で、自ら考え判断し表現することはもちろん、人間本来の「感じる力」を発揮してこれからの社会に貢献できる人材育成の重要性が再認識されています。理工系学生への感性教育は、もはや必然ともいえるでしょう。

五十嵐威暢アーカイブ実現においては、理論と感性を包含する学問であるデザインと、理論と技術を中心に据えたKITの教育との親和性が高いことに加え、アートが感性教育の推進力となること、さらには、五十嵐と同校の古くからの信頼関係も大きな要素となりました。

企業でCIが導入され始めた1980年代初頭、金沢工業大学は全国の大学に先駆けてUI(ユニバーシティ・アイデンティティ)計画に取り組み、そのデザインを五十嵐に依頼。これを機に、30余年に亘りデザイン顧問を
務めた五十嵐は、同校の世界を視野に入れた教育と学生への緻密なサポートを、敬意の念とともに見守り続けてきたのです。

KITがすでに導入しているSTEAM教育*の「A」を担うのが五十嵐威暢アーカイブであり、独自に打ち出すプログラムで理工系学生の右脳を刺激。自由な発想と豊かな感性を醸成します。

* Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、 Art(アート)、 Mathematics(数学)を統合する教育手法。

Collection

50年のキャリアを集積した
コレクション

アーカイブは五十嵐威暢の全デザイン作品と一部の彫刻作品、関連資料、第三者による作品やプロダクトのコレクション、所蔵書籍によって形成されます。これらはすべて、五十嵐によりKITへ寄贈されたものです。

その領域は、グラフィック、プロダクト、立体アルファベット、クラフト、彫刻のほか、模型、スケッチ、 道具、版下、図面、写真、書籍など
五十嵐のアイデアの源をうかがい得る貴重な資料も含まれます。

50年を超えるキャリアのなかで生み出されてきた作品は膨大な数にのぼり、アイテム数は5,000点以上にも。

いまなお、創作活動に邁進する五十嵐威暢のクリエイティブを一堂に俯瞰する、世界的にも貴重なコレクションです。

Our Activity

展示を主体とする4つの活動

多彩なネットワーク

日本国内外で同様の活動を展開する教育機関や、デザインおよびアート関連の企業や団体とのネットワーク形成や連携を行います。

五十嵐作品の研究

作品が生み出された背景や社会の流れ、交流のあったデザイナーやアーティストも 研究対象とし、研究機関としての機能も。
成果を展示として発表することも想定しています。

作品と資料の保存収蔵

アーカイブの核となる作品や資料の保管に加え、将来的な展示に必要と考えられる作品、 デザインやアートに関する書籍など、資料の新規収蔵も検討していきます。

見る目を鍛える展示

収蔵作品・資料の展示を定期的に開催します。五十嵐威暢の作品のみで構成することもあれば、 五十嵐作品と他者の作品を組み合わせるケースも。いちばんの特色は、視覚情報を用いた比較に基づく展示手法にあります。

なぜそれが優れているのか、その美しさはどこから来ているのか。
目視による比較は気づきの源泉であり、「見る能力」を高めるきっかけにも。
展示を感性教育の装置として活用することで、より直感的な理解と閃きを得ることが可能となります。

Members

プロジェクトチーム

遊び道具は自らの手で作ることが当たり前だった幼少期、北の大地の自然が与えてくれた感動、何をするにも遊びにつなげ楽しむための様々な工夫、それらが自分自身の軸になった。
若きデザイナー時代、建築家やインテリアデザイナーが使っていたドラフターという製図台に出会う。新たな道具を見つけたことが自分らしいグラフィックデザインの扉を開くきっかけとなり、世界から注目を集めるような作品が完成した。
その作品に目をつけてくれたのがMoMAのキュレーター。日本にいた自分に、作品を送るよう連絡をくれた。しかし、これは大きなチャンスだと思い、ニューヨークまで直接届けた。会いたい人には会いに行く。この勇気は、その後も、多くの成功を後押ししてくれた。
彫刻家に転身し制作をはじめて何年か経った頃、重く固い塊ではなく、片手で持ち上げられるぐらい軽く薄くしなやかな、いわゆる彫刻っぽくない作品制作を目指した。視点や発想、分野や素材にこだわらず、自らの手で自由に創作してみると、他の誰とも違う自分らしい作品が誕生した。
5000点を超える作品や資料を通し、自分の経験や考え方が、未来の日本を支える若き有能な人々の志に触れ、少しでも役立つことを心から願い、金沢工業大学での五十嵐威暢アーカイブ設立に同意した。

takenobuigarashi.jp

数年前に、とあるミュージアムに所蔵されている五十嵐さんのポスターについて論考を書いたことがありました。それをきっかけにご本人とお会いすることになり、2020年には五十嵐さんの3Dアルファベットについての本を出しました。その準備のために、五十嵐さんが50年近く収集・保管してきた資料と作品を初めて見たときの驚きは今でも覚えています。その量もさることながら、きちんとファイリングされた資料、専用の箱に納められたアルファベット彫刻には、ただ「すごい」という言葉しか出ませんでした。そして資料や作品だけでなく、その手法や姿勢をもっと多くの人に知ってもらいたいと思ったのは言うまでもありません。
デザイン史の研究者として、これまで様々なアーカイブ資料に助けられました。今度は恩返しをする番だと思っています。
金沢工業大学の感性教育のハブとして、国内外のデザインアーカイブの革新的な例として、五十嵐威暢アーカイブが多くの人に活用される場になるよう準備をしていきます。

it-might-matter.tumblr.com/about

学生時代、図書館で目にした五十嵐さんの著書に「プロにはなりたくない、一生アマチュア精神で挑戦し続けたい」そんな言葉が綴られていて感動しました。当時は珍しかった週休二日制、残業なしといった仕事に対する方針にも驚いたものです。
幾何学的な作品を多く手がけていたデザイナー。抽象形が好きだった自分が学ぶならばここだと確信し、ぜひ働かせてほしいと手紙を書きました。
すぐには叶わなかったのですが、数年後、運命的にアシスタントになることに。
デザイナーから彫刻家に転身しロサンゼルス在住だった五十嵐さん。アメリカと日本、遠距離仕事がスタートしました。のちに三浦半島の秋谷のアトリエで一緒に過ごした時期もありますが、現在は北海道と神奈川。テレワーク歴は長いです。
彫刻設置のため、クライアントや建築家、工場や現場と調整し、デザイン会議開催の裏方や展覧会の準備、グラフィックデザインもするし、模型作りや事務仕事も。自身の制作も平行しつつ、次々と舞い込む仕事に興味が尽きず突っ走り、早25年です。

asa-tte.jp

クリエイティブチーム

五十嵐さんに初めて出会ったのはたぶん1975年、僕が谷口吉生さんの事務所で金沢市立玉川図書館を担当し、そのサイン計画をお願いした時です。駅から片町に向かう途中のタバコ工場跡地に計画したこの図書館は谷口親子が共同した最初で最後の仕事であり、その後の金沢現代建築群の最初の建築かと思います。五十嵐さんも当時おそらくバリバリのグラフィックデザイナーとして多くの仕事をされる中建築に関わった初期の作品でしょう。モダンで端正、衒いのない書体やサインレイアウトは建築の特性をよく捉え、抑制された前衛としての建築にある種の品格を付与してるように今見ても感じます。その後僕も独立してしばらく疎遠になりましたが少しずつ公共施設や大きめの仕事に関わり始めた1998年に事務所を横浜に移しました。それから数年後、彫刻家に転身されロスから日本に帰られた五十嵐さんが突然事務所に来られたのです。その時雑談する中で御自宅の土地を探してるという話になりたまたま友人である逗子の不動産屋を紹介したことからいろいろ展開し、またご縁が始まりました。その後滝川太郎吉蔵での展覧会やデザイン会議、三浦華園「il cielo」を含むもろもろ、更に新十津川「かぜのび」まで、五十嵐さんに引き寄せられるように関わり、とうとう「五十嵐威暢アーカイブ」までやってきた訳です。振り返るとどれも悪戦苦闘、だけどなぜかそのことを楽しんでいる。五十嵐さんにインスパイアされアドレナリンが過剰に出るのか痛みが気にならない、どうも体質が変わるような感じなのですね。今回もアーカイブを金沢工大に作るという発想にしびれます。原点に戻ってきた感覚、さらに当時右も左もわからずただただ建築が面白く現場に夢中になっていた感覚も思い出しながら今わくわくしています。

https://archiship.studio/

1977年東京都出身
出張の乗り換え時、急ぎ足で通りかかる札幌駅コンコ―スの吊り時計、ファッションアイテムを探すのに全力だったころ渋谷スクランブルから路地を抜け、階段を登った先に見えるPARCO、少し気取った気分で訪れることが多いサントリーホールの中庭、思い返せば、日常生活の中で何度となく五十嵐デザインに触れていた。五十嵐さんに出会い、静かにじっとものと向き合う眼差しと、丁寧に選ばれた言葉の中に感じるしなやかさと強さといったものが、これまでにつくり手の意図が意識されなかった場所に、デザインとしての作品を打ち立て、時を経てそのフィールドが出来上がっていることに大きな刺激を受けた。
五十嵐さんと会話をしているといつのまにか、どうやって作ろうかと一緒に考えている気分になっている。このプロジェクトもそんなふうに始まり、アーカイブがしなやかで粘りのある場として実現するためにあれこれと考えを巡らせている。

石川県で生まれ、20歳で大学進学をきっかけに横浜・東京と拠点を変えながら過ごしてきました。
建築を志し、新しい環境で学ぶ中でも金沢の海、川、山、まちの中の暮らしの風景や体験がやはり自分の原点です。
大学院では、金沢市春日町の旧北國街道に現存する町家の建物と暮らしの調査・実測・設計を一年間行い、地元の方を招いて街道沿いの町家の一角で発表しました。
いつかまた地元での縁が出来る事を秘かに願っていましたが、五十嵐さんのアーカイブの拠点の設計に関わる事になり、とても嬉しく思っています。
地元で学生をしている時も、放課後は金沢21世紀美術館や鈴木大拙館、金沢市立玉川図書館などに足を運びました。その場所にいるだけで、時間の流れを感じながら作者と対話し経験が蓄積されるような建築や作品群が集まる地域である事は、この場所でものづくりやデザインを志す人にとってとても大きな事だと感じます。
そこにまた一つ五十嵐威暢アーカイブが加わり、感性教育の場として展開するという今回のプロジェクト。
五十嵐さんの作品を通して、アーカイブの空間が作者と受け取り手のコミュニケーションの場所になっていく事を全力でサポートしていきたいと思います。

「北海道に日本中、世界中の人がわざわざ訪れるとても小さなデザインショップをつくりたいと思っています。そのお店は小さいけれど宝石の原石のようなもので、磨かなければ光らないし、磨けば圧倒的な光を放つことになります。そのショップのデザインをお願いしたいのですが。」
今から15年前、私が五十嵐さんとお会いしてから初めての打合せで飛び出した言葉です。その時やるべきことを天からの啓示としてうけたような衝撃をいまでも覚えています。五十嵐さんの志の高さと純粋さに鼓舞されるように、ショップスタッフと共に一気にオープンまで駆け抜けた厳しくも幸せな時間でした。
五十嵐威暢アーカイブは、KIT金沢工業大学において、五十嵐さんの思想と全仕事を、世界中の次世代へと継承し伝播していくというかつてない壮大なアーカイブ活動となることに、夜明け前のような静かな胸の高鳴りを感じています。
また再び、このような貴重なプロジェクトに参加させていただけることに感謝申し上げます。

hayano-isho.com

五十嵐さんと最初にお会いしたのは2006年、北海道ゆかりのアーティストに話を聞くという仕事でした。ロサンゼルスから帰国したばかりの世界的な彫刻家への取材。震えちゃいますよね。しかしながら、ムダな緊張は秒で消滅。五十嵐さんの物腰のおだやかさ、ちらりと見せてくださる人なつっこさに、こちらの肩の力も自然と抜けてゆくのでした。
横須賀のアトリエで目にした「こもれび」も鮮烈に覚えています。軽やかで、気持ちがふわりと放たれるような感覚。ずっと眺めていたい作品です。無垢で、自由で、楽しがり屋さん。そんな五十嵐さんへの印象は、いまも変わりません。
ありがたいことにその後もご縁は続き、札幌の郊外に設けたわが家+夫の設計事務所+私の個人事務所に併設するかたちで、五十嵐さんが6年にわたりアトリエを開設され、日常的に刺激をいただいたことも大きな財産です。なかでも、ときおり語られる海外の街や建築は興味深く、それらの場所のひとつふたつをめざして、いつか旅ができたらと思います。

1966年、東京生まれ。アメリカの大学でスイスデザインを学び、情報を極限まで整理する独自の教育に多くの刺激と影響を受ける。1989年、在籍していたニューヨークのデザイン会社での仕事がきっかけで、初めて五十嵐さんの展示を見て、その独特な幾何学的表現と活動の幅広さに衝撃を受ける。帰国後、ポートフォリオを持って五十嵐さんを訪ね、グラフィックデザイナーとしてイガラシステュディオで働かせてもらうことに。在籍中は企業のCIデザイン、プロダクトのグラフィックデザイン、MoMA Poster Calendarなどの仕事に携わり、多くのことを学んだ。退社後も定期的に交流させてもらい、2018年には五十嵐さんが長年関わった金沢工業大学の仕事を引き継ぎ、新しいアイデンティティデザインを担当。2020年、Thames & Hudson社から発行されたTakenobu Igarashi A-Zのブックデザインを担当。五十嵐威暢アーカイブディレクターの野見山桜さんとともに長い時間をかけてじっくりと作り上げた。
金沢工業大学における五十嵐威暢アーカイブに関わることは、多くの人に五十嵐さんの魅力を知ってもらうお手伝いができるということ。それは自分にとって大きな意義があり、とても光栄に思う。

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