Point of View
05|2024.12.26
五十嵐威暢のアルファベット・アート展
五十嵐威暢アーカイブのWEBメディア『Point of View』。5回目となる今回も前回同様に、五十嵐威暢がこれまで手がけた仕事や作品を取り上げ、その創造の背景や意義を考えます。取り上げるのは1981年に銀座松屋内「デザインギャラリー1953」で開催された「五十嵐威暢のアルファベット・アート」展。この展覧会で五十嵐は、自身の代表的な作品シリーズとなるアルファベット彫刻を初めて発表しました。アーカイブ所蔵資料を中心とした調査を踏まえて、これまで詳らかにされてこなかった展覧会の内実に迫ります。
この展覧会は、1981年の6月5日から6月17日の会期で「デザインギャラリー1953」の274回目の展覧会として開催されました。3,773名に及んだという来場者数※1からは当時における五十嵐への注目度の高さがうかがえます。会場を運営し、展覧会の主催でもある日本デザインコミッティーは、デザイン評論家の勝見勝、プロダクト・デザイナーの剣持勇、グラフィック・デザイナーの亀倉雄索、建築評論家の浜口隆一らによって、領域横断的な連携による「グッドデザインの啓蒙」を目指し、1955年に発足した組織です。その拠点が銀座の百貨店、銀座松屋であり、1964年に開設された「デザインギャラリー1953」での展覧会は現在に至るまでコミッティーメンバーの担当制で開催されています。五十嵐の展覧会担当は、同じくグラフィック・デザイナーの永井一正でした。当時のDMには永井による推薦文のようなテキストが掲載されています。
この展覧会で五十嵐が発表した作品は、1970年代から取り組んでいたアクソノメトリック図法による文字表現の延長線上に位置づけられます。しかしながら、永井によるテキストや展覧会名が示すように、ここで展示された作品はグラフィック・デザインというよりはむしろ、版画や彫刻であり、一般的には「アート」として理解されてきたものでした。
残念ながら出品目録の存在は確認できていないものの、アーカイブに残されたモノクロの紙焼き写真、日本デザインコミッティーが保管するカラーのポジフィルムから出品作品が照合できます。アルファベット彫刻16点が展示室中央に並び、壁面には《Silkscreen Alphabets P》など大判の版画7点、アルファベット全文字が揃うサイズの小さな版画《Silkscreen Alphabets A-Zブルー》が26点、そのほか《Wire Sculpture Z》や「A」と「B」を印刷したタペストリーなど、計52点が展示されました※2。
五十嵐独自の造形言語として知られていたアクソノメトリック図法によるアルファベットは、この展覧会で実際に彫刻として立体化しています。以降、継続的に制作・発表されたアルファベット彫刻に関して、のちのインタビューで五十嵐は「アクソノメトリックというのは、まったく建築的な図法で、いわゆる実存する世界をあらわす図法だから、そういう意味ではイリュージョンの世界とはだいぶ違う」※3と答えています。これは、錯視を利用して実現不可能な建築物を描く版画家マウリッツ・エッシャーを引き合いに出された際のものですが、たしかにアクソノメトリック図法は、パースを付けずに平面図を傾けて書くため、寸法や縮尺は変更されません。五十嵐が紙上に立ち上げた空間は、そのまま現実世界の写しでもあり、そこに描かれたアルファベットが実体として立ち上がることは必然だったのかもしれません。
しかし、アルファベットの立体化に際して避けて通れないのが、素材や色彩、構造など物質的な要素の数々です。「松屋彫刻展図面」と記された封筒には展示されたアルファベット彫刻全てに該当する図面22点が入っていました。A2サイズを基本とするトレーシング・ペーパーに鉛筆で記されたこれらの多くは四面図あるいは三面図であり、スケールや寸法の記載など建築やプロダクト・デザインの一般的な表記法をある程度踏襲しています。
《大理石のアルファベットJ図面》や《インド砂岩のアルファベットB図面》など形を示す最低限の情報が書かれた原図のみが存在する一方で、22点のうち5点ある青焼きには、印刷物の刷り色を指定する際に用いられるカラーパッチの添付や色見本の番号の書き込みがありました。《鏡のアルファベットC,E図面》を除けば、青焼きが残されているのは樹脂を素材としたものです。自然の色彩を活かした木や石を素材としたものとは対照的に、それらには表面を覆う色彩に対する厳密な指示がなされていたことが確認できます。色見本という規格化された色彩による伝達方法も相まって、さながら工業製品の図面のような印象を覚えます。
1960年代ごろに出現した「発注芸術」という美術動向において、美術家は自らの仕事を図面の作成に留め、制作は工場など第三者に依頼しました※4。手仕事による自己表現の在り方を解体しようとする美術分野における前衛的な試みの一種ですが、その結果、美術はデザインに接近することになりました。制作過程を考えれば、アルファベット彫刻も「発注芸術」です。しかし、アクソノメトリック図法を出発点とし、素材や色彩の実直な選定を経て制作されたアルファベット彫刻は、デザインの側から美術との境界面に向かっています。テキスタイル・デザイナー粟辻博が「ただ平面が立体へと置き変ったといったような単純なものではない。それぞれに選ばれた素材の幅広さ、その造形処理の鋭さと巧みさ、周到なまでに計算された計画性には驚かされる」※5と評したように、「アルファベット・アート」と題されたこの展覧会に並ぶ作品の背後に、五十嵐が持つ「計画性」、いわばデザイナー五十嵐威暢の手つきを感知しないわけにはいきません。
この展覧会をきっかけに、同様にデザイナーとしてデザインと美術の狭間に立つ倉俣史朗は、同年9月にオープンする「渋谷PARCO PART3」の仕事を五十嵐にオファーします。ロゴからサインに至る広範な仕事については第3回の記事で取り上げましたが、実は開館後には、街路に面したショーウインドウ型のギャラリー「ストリート・ギャラリー」において、アルファベット彫刻を発表しています。1シリーズ5点を6週間に渡り週ごとに入れ替える方式で計30点が並んだこの展示では、《鏡のアルファベット》や《ABS樹脂のアルファベット》も新たな文字、仕様で制作されました。来年2月から開催する五十嵐威暢アーカイブ研究報告展では、「渋谷PARCO PART3」の仕事を取り上げ、これらのアルファベット彫刻も一部展示します。ぜひお越しください。
※1 日本デザインコミッティー保管のメモによる。
※2写真をよく見ると什器や壁面に値札が貼られており、作品が販売されていたことが確認できる。出品作はアーカイブに収蔵されていないものも多く、所在などについて引き続きの調査が求められる。
※3五十嵐威暢、木村要二「ALL THAT ART-29:五十嵐威暢 立体アルファベット」『美術手帖』第516号、美術出版社、1983年10月、102-103頁
※4この傾向は、1966年ニューヨークでの「プライマリー・ストラクチャーズ」展におけるドナルド・ジャッドらのミニマル・アートに見出された。この展示を見た美術批評家の東野芳明は、同年に南画廊において「色彩と空間」展を企画。磯崎新、三木富雄、山口勝弘らによる設計図をもとに第三者が制作した彫刻作品が展示された。
※5粟辻博「五十嵐威暢のアルファベット・アート」『グラフィックデザイン』第83号、グラフィックデザイン社、1981年9月、43頁
鯉沼 晴悠
五十嵐威暢アーカイブ スタッフ
05|2024.12.26