IGARASHI TAKENOBU Archive

03|2024.09.06

渋谷PARCO PART3

鯉沼 晴悠

五十嵐威暢アーカイブのWebメディア『Point of View』。第三回となる今回は、「渋谷PARCO PART3」に関する一連の仕事を取り上げます。五十嵐はこのプロジェクトに中心的なデザイナーのひとりとして参加し、ロゴ、ショッパー、看板、館内外サイン、館内グラフィックなど、多くのデザインを行いました。
 企業などとの密接なつながりを持つクライアント・ワークに代表されるように、アートやデザインは各時代の社会や文化とは切り離すことのできないものです。アーカイブに残された当時のポスターや関連写真を手掛かりとしながら、時代背景との関連のなかに五十嵐の仕事の意義を見出すと同時に、五十嵐のまわりに形成された世代や領域を超えた人々のつながりの表出を試みます。


「すれちがう人が美しい―渋谷=公園通り」をコピーとするPARCOによる立地創造によって、日本を代表する文化都市となった渋谷。増田通二を旗手とするPARCOは、1973年の「渋谷PARCO PART1」開館以後、石岡瑛子らを起用した広報物、武満徹によるコンサートを皮切りとした「西武劇場」での公演などを通して、この地を中心とした一大文化圏を築き上げました。
 そうしたなか、1981年9月に「渋谷PARCO PART3」が開館します。「インテリア・スポーツ・ファッション・サウンドによる新しいMDビル」※1として企画されたこの施設においてPARCOは、これまでファッションを基軸としていた方針へ新たに「インテリア」を含み込むことで生活全体におけるデザインの価値の発信を試みます。
 その実現のためにデザイン監修者として起用されたのは、当時「イッセイミヤケ」の店舗デザインなど商業空間を中心に活躍していたインテリアデザイナー倉俣史朗でした※2。五十嵐とかねてより交流のあった倉俣は、1981年6月の「五十嵐威暢のアルファベットアート」展※3にてアルファベット彫刻を見たのをきっかけに、五十嵐へ看板デザインのオファーをすることになります※4

開館当時の正面入口の様子

開館当時の正面入口の様子

結果的に多くのデザインを行うことになったこのプロジェクトですが、その起点はやはりロゴでした。「A」、「C」、「O」、「P」、「R」、「T」、「3」という店名に出現する6つのアルファベットと1つの数字が、四角や三角、円など幾何学図形を中心に構成されています。幾何学的構成が作り出すリズミカルなフォルム、緑を基調としながら水色と紫をアイキャッチとしたカラーリング※5の快活で楽しげな印象は、PARCOのイメージ刷新の象徴となりました。
 写真中央に見えるポスターは、以前よりPARCO関連の仕事に取り組んでいたアートディレクター戸田正寿によるものです。ロゴを見てすぐにメインヴィジュアルとして使うことを提案したという戸田は※6、「PART3」の五文字を上部に接地するようにレイアウトし、三方に余白を残した大胆で躍動感のある構図を試みました。また、オープン前日の『朝日新聞』夕刊には、同様にロゴを上部に詰めつつも、「3」のみ軸線からずらすという遊び心を感じる一面広告が掲載されています※7

ビル全体に目を転じれば、ロゴを用いた入口看板、ネオン看板、ドアノブのほか、館内外サイン、館内壁面や床面に配されたグラフィックなどを確認することができます。たとえば正面入口に掲げられた看板は、ロゴを形作るそれぞれの図形が異なった厚みで立体化されたもので、本来、平面的な記号である文字がモノとしての存在感を放っています。
 また屋上には夜の渋谷を彩るアイコンとして人々に親しまれたネオン看板が、そして外壁には一見なにを示すのか判然としないネオンサインが掲げられていました。正方形に接する正円、正方形を四分割する線や対角線などで構成されるこのネオンサインは、館内外サイン、館内グラフィックを制作する際のシステムを示したものでした。

外壁に設置されたネオンサイン

外壁に設置されたネオンサイン

「システムを作るということは、思考の外で制作を行うことを意味します。それはアイデアの構造がきちんと構築されているということです」※8とのちに述べているように、五十嵐のデザイン実践においては、その根底に据えられたシステムの存在がしばしば重視されます。このプロジェクトでは、ネオンに出現する図形のみから構成されたサインやグラフィックがビル全体に統一感をもたらしました。

踊り場のグラフィック

踊り場のグラフィック

グラフィックから建築にいたる五十嵐の広範なデザイン実践が、「デザイン志向をビル全体のイメージに表現する」※9というPARCO側の構想の実現に貢献したことは間違いないでしょう。そして、「インテリア」を切り口に生活全般へのアプローチを試みるPARCOをクライアントとして生まれたトータルなデザインは、平面と立体を軽やかに行き来する五十嵐の領域横断的な実践のひとつの起点にも思われます。
 仮設性を宿命とする商業空間のデザインは、逆にそのことによって時代の空気感を色濃く抱え込んでいます。ここで紹介した五十嵐による一連のデザインは、その後全国各地のPARCO店舗へと展開し、現在まで使用されているものもあります※10。それぞれの街に残る五十嵐のデザインを通して、80年代当時の芸術文化に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。

※1 アクロス編集室『パルコの宣伝戦略』パルコ出版、1984年、192頁

※2「渋谷PARCO PART3」を取り上げた『商店建築』1981年11月号には、「協力」としてクラマタデザイン事務所、五十嵐威暢デザイン事務所がクレジットされている(「渋谷パルコパート3」『商店建築』商店建築社、1981年11月、109頁)。また、倉俣は自身の家具を販売する「SHOP A」をこの開館に際し、エドワーズビルから「渋谷PARCO PART3」内に移転させている。

※3「五十嵐威暢のアルファベットアート」展(松屋銀座7F・デザインギャラリー1953、1981年6月5日〜6月17日、主催:日本デザインコミッティー)

※4『タイムトンネルシリーズVol.21 五十嵐威暢展『平面と立体の世界』』ガーディアン・ガーデン、2005年、28頁

※5「渋谷PARCO PART1」に掲げられた同デザインのネオンサインなど、「渋谷PARCO PART3」以外で使用される際には色味がより濃い緑、水色、赤へと変更されている。

※6 筆者による戸田氏へのインタビュー。2024年7月16日、Brilliant Heart Museumにて。

※7『朝日新聞』夕刊、朝日新聞社、1981年9月10日、4面

※8 Sakura Nomiyama, Haruki Mori Edit. Igarashi Takenobu A to Z. London: Thames & Hudson. 2020. p.291. 訳文は筆者による。

※9 アクロス編集室、前掲書、192頁

※10 たとえば、2025年2月に閉店することが発表されている松本PARCOには入口看板の仕様違いが設置されている。また、「渋谷PARCO PART1」外壁に設置されていた五十嵐デザインによるネオン看板は、リニューアル後の渋谷PARCOと心斎橋PARCOに移転している。

本記事で紹介している画像はすべて五十嵐威暢アーカイブ所蔵です。画像の転載を固く禁じます。

鯉沼 晴悠

五十嵐威暢アーカイブ スタッフ

03|2024.09.06

渋谷PARCO PART3

鯉沼 晴悠

ロゴをモチーフとした入口ドアノブ

ロゴをモチーフとした入口ドアノブ

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