Point of View
04|2024.11.01
多摩美術大学のマーク
『Point of View』の第四回目は、「多摩美術大学のマーク」を取り上げます。1995年に60周年を迎えた多摩美術大学は、記念事業としてユニバーシティアイデンティを導入し、五十嵐威暢がそのためのマークとロゴタイプのデザインを手掛けました。マークのモチーフになったのは、大学の創設者の一人、杉浦非水が作った校章です。五十嵐は、同大学が教育に込めた思いと目指すべき姿を「美」という字を用いて抽象的に表現しました。五十嵐威暢アーカイブ所蔵の資料のなかでも、「多摩美術大学のマーク」は制作の過程を細かく辿ることのできるプロジェクトのひとつです。今回は多摩美術大学より公開許可をもらった一部の資料を参照しながら、その創造に迫ります。
「多摩美術大学のマーク」のデザインは、多摩美術大学UI委員会から五十嵐宛に届いた依頼状を起点にします。発行日は、1995年6月15日。多摩美術大学を卒業したデザイナーの指名コンペティション形式で募集することになった旨や概要が端的に記載されています。制作物には、多摩美術大学のマークおよびロゴタイプ各2案とあります。色数は1つという指定以外は、条件は定められていません。締め切りは8月15日、依頼状の発行日から2か月後です。
ユニバーシティアイデンティティ導入にあたりUI委員会が作成した資料には、大学が一貫したイメージを構築し、社会に発信する必要性が説かれています。大学の伝統や建学の精神に加え、時代の要請などを考慮しながら様々なコンセプトを検討した結果、現代まで受け継がれている「自由と意力」という理念が誕生したことが分かります。「意力」という言葉は、多摩美術大学の前身である多摩帝国美術学校の創設者の一人であり、初代校長の杉浦非水が残した文章から来ています ※1。
五十嵐が本格的にデザインを開始したのは、7月上旬でした。当時のメモからは、6つの方向でデザイン案を出そうとしていることが分かります。1つめは、多摩美術大学のイニシャル“T”をモチーフとしたもの。2つめは、“TAU Tama Art University”を用いたもの。3つめは美術大学の“美”を用いたもの、4つめは大学がコンセプトに掲げていた“自由と意力”を表現したもの、5つ目は“目”をモチーフにしたもの、そして6つ目は大学名の頭をアルファベットで表記した“TAMA”を用いたものです。基本のアイデアが決まった後、五十嵐とイガラシステュディオの担当者との間で相当な数のスケッチのやり取りが重ねられました。その結果、提出に向けて3案まで絞られ、細かいデザインの調整が進められます。ここからは、それぞれの案をA、B、Cと名付けて見ていきましょう。
A案は、「多摩美術大学」という大学名称を英語表記にして、黒の四角形に白抜きで配置したものです。「TAMA ART UNIVERSITY」には全部で17のアルファベットが用いられているので17個の四角形が並んで、その並びによって17個の四角形が作る形にバリエーションが生まれます。
B案もA案同様、大学名の英語表記を基調にしたものですが、一つの固定したマークとして提案されています。書体に太めのFuturaを用いており、力強さが感じられ、少し傾いていることでダイナミックさもあります。A案、B案には、大学名が含まれているのでロゴタイプのように思えますが、図形的な特徴を持たせることでマークとして機能させようとしていることがうかがえます。前者は、使い方に応じて形を変化させることができるので、一定の印象を保ちつつ、グラフィックとしての展開の幅が広がります。後者は、透明な四角の枠の中にすべての要素がレイアウトされており、スタンプのような印象を持ちます。Futuraは、丸、三角、四角がデザインのベースになっており、文字でありながら形としての面白さがあります。この点からも、五十嵐が図形としてのインパクトを考慮して書体を選んでいることが分かります。
C案は、先の案とは異なるアプローチで、多摩美術大学の「美」をシンボルのモチーフにしたものです。大学名が入っていないため、最もマークらしいといえます。杉浦非水への敬意を払いながら、美の字を極限まで簡略化することで、漢字らしさが取り払われ、太い線(あるいは矩形)のみで構成された形になりました。
これら3つの案から、B案とC案の2案までに絞られ、提出されました。〆切を前に8月上旬は、急ピッチでロゴの展開をつめている様子で、プレゼンテーション用のボードに関する細かい指示が飛び交います。提出物にはマークとロゴタイプの案とありましたが、五十嵐はその使用例まで準備していました。名刺や封筒といったステーショナリーだけでなく、ふろしきなどのグッズまで含まれています。そして、最終的に選ばれたのはC案の「美」のマークでした。五十嵐曰く、上下の2本のラインは、大学のUIにおけるコンセプトの肝となる「自由と意力」を示したもので、その限りない発展向上を表現しているそう※2 。
「美」という字は美術大学であれば、必ず名前に含まれているもの。あえてそのような文字をシンボルにした点に多摩美術大学の挑戦的な姿勢を見ることができます。普遍性をもちながら独自性を示していく。大学が示した「芸術を学ぶ場で自由を満喫するためには、自由を自らのものにしようとする、強い意志が必要である」※2 という決意にも呼応します。
制作の一連のプロセスを駆け足で巡ってみましたが、デザインができるまでのやり取りは主にFAXで行われていたことを特記しておきたいと思います。五十嵐は彫刻家として研鑽を積むため、90年代に入るころにはデザインの仕事を縮小し、94年に日本を離れアメリカ・ロサンゼルスに拠点を移しています。インターネットがまだ普及していない当時、アメリカと日本でFAXを用いながらやりとりを重ねて制作されたのです。マークができあがる過程ももちろんですが、その制作背景にあるテクノロジーの存在も無視できません。
来年、90周年を迎える多摩美術大学ですが、現在も五十嵐がデザインしたマークとロゴタイプが使用されています。今では、時間の経過と共にイメージとして確実に定着し、大学の顔として広く認知される存在となりました。
※1 多摩美術大学UI委員会『多摩美術大学 ユニバーシティ アイデンティティ コンセプト(案)』多摩美術大学、1995年
※2『たまびニュース』 第10 号(1996.1)多摩美術大学、1996年、4頁
※3同上
野見山 桜
五十嵐威暢アーカイブ ディレクター
04|2024.11.01